育児鬱(夫)のブログ

生きてくの本当に疲れた。生活に向いてない。

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根腐れ

結局、今、生きるエネルギーみたいなものが全くない。欲しいものとか、やりたい事があったはずなのに、我慢しているうちに要らなくなってしまった。何をしても楽しくないし、とにかくただ疲れる。ずっと横になっていたい。死にたい。本当に、みんなどうやって生きてるんだろう。色々処分したいけれども、それも出来ない。
出口がない。しんどい。辛い。明日になって心臓が止まってれば良いのにと思う。セックスしたいとかそういう感覚が昔はあって、それが、他のエネルギーの基本みたいになっていたけれども今はそういうのがなくて、もう何もしたくない、ただただ毎日疲れて、本当に、嫁の機嫌とったりして毎日が終わって、子どもの面倒観たりとか。でもそういうのすごい苦手で、そういうのをしてるだけで、ガリガリと体力だけじゃなくって、自分にすこしだけ残ってる、人格というか、そういう削ってはいけない人間の精神の根幹を作る骨みたいなものが削れてく気がする。元々まともに生きられない人間で、生活がとても苦手。“生活”ということがとても苦手。毎日ごはんを食べたりとかどこかに出掛けたりとか、生活に潤いとか本当に苦手。そういう日常の再生産の行為の方が、物凄く疲弊する。それで体力が回復したりしない、むしろ逆で、とても疲れる。ガリガリと削られる。自分の場合回復は寝るとか狭いところでじっとしてるとかそういう事しかでしか出来ないのに、家族と共同生活してるという事がそれを許さない。社会的に、ではなく、嫁自信がそれを許さない。
結婚した時とか、その前に付き合ってるときから、自分はそれでは体力が回復しないししんどいし本当にしんどいという話はしていて、それは分かっていてくれてるはずなのに、無理。それは嫁が、さっき言ったみたいな遊びに行ったりごはんやケーキを食べてメンタルが回復するタイプの人間だからで、で、自分がそれを出来ないと嫁が削れていくんだけれども、だからこっちが折れるしかない。文字通り“折れる”しかない。それでもう何回も喧嘩して、そのたび疲弊する。それで疲弊するんだったら毎日少しずつ折れてる方がまだマシだ。
だったら分かれてくれれば良いのに、嫁は自分の事が好きなので駄目っぽい。自分も嫁の事が好きだけれども、でも、自分の好きという感覚は遠くにいても近くにいても一緒で(だから嫁が浮気しても平気)なんだけれども、そういう感覚を理解してくれない。そういう感覚があるという事を想像もできないっぽい。嫁の事が好きだし、幸せでいて欲しいけれどもそれには自分がそばにいる、つまり自分が削れ続けることが前提になっていて、だから今削れて死にそう。自分は生活が本当に苦手だ。
物を考えたりとか何かを感じたりとか、そういう部分がゆっくりと確実に死んでいくのが分かる。つかれた。死にたい。